
どうも、福井の論理男 家庭教師のベストマン所属講師 社会科、数学担当 角田です。
福井の歴史と称して始めた越前朝倉氏の歴史。
前回は越前朝倉氏が本格的に福井に根を張ったところまで語っていきました。
今回は本格的に戦国大名となるまでを語っていきたいとおもいます。
所謂、下克上というものを達成するまでの道のり。
越前朝倉氏が福井の覇者となった物語をしていきましょう。
目次
システムの欠陥から成り上がる朝倉氏
さて、越前朝倉氏の更なる発展に欠かせないのが、
守護大名というシステムです。
前々回に語ったように、守護大名というのは
幕府から与えられた【守護】という役職の力を背景に、
地方を支配する大名システムです。
ついでに忘れてたので大名というのも説明しておきましょう。
大名
大名主という言葉が転じて生まれた言葉で、
一般的には大きな領地を持ち、
多数の侍を従えている侍を大名と呼ぶ。
守護大名、戦国大名などの種類が存在し、
江戸時代になると藩主と呼ばれるようになる。
だいたい収穫が一万石を超えれば大名と扱われる。
今回の話で語るのは、
斯波高経に代表される斯波氏という【守護大名】
越前朝倉氏が到達した【戦国大名】です。
ここらへんまで覚えておいたら入試対策としてはまず問題ないでしょう。
それでは本題に入っていきます。
貞治の変と呼ばれる政変により、
高経が越前守護職を解かれた後のお話。
斯波家が守護職を解かれた後、
越前は幕府の領土となりました。
朝倉氏は貞治の変では幕府側についたため、
領土はそのままに福井で力を保持し続けることとなります。
さて、ここから朝倉氏の発展が始まっていくわけですが、
どうして朝倉氏が力を持つようになったのでしょう?
ここで重要となるのが当時の守護大名というシステムです。
そもそも守護職というものは現在の県単位の地域における
警察権や軍事権を担う役職です。
これに経済的な支配を加えることで自治していたのが、
守護大名なわけです。
ですが、この守護職というものが難物です。
南北朝時代にあれこれそれとあったせいで、
幕府にとって地方を任せられる武士は数少ないものでした。
そのため複数の国どころか土地が繋がっていない
【飛び地】で守護をされる武士も少なくありません。
(つまるところ地続きじゃないということ)
失脚前の斯波氏なんて北陸以外にも愛知、北陸と
飛び地ばかりの経営です。
そんなことを情報の速度が遅い時代にやっていたらどうなるか?
部下達の反乱だとかの情報が手に入らないばかりか、
「地元を放り出している!!」とトップを住民が認めない事態になります。
結局、守護大名に肥大化した領土を支配するの力がなかったため、
彼等の力は時代と共にずるずると小さくなっていったのです。
このため室町幕府の時代が進むにつれて守護大名の力は失われ、
朝倉氏のような地元の武士などが力を付けていくことになります。
守護大名システムの完全崩壊
力が失われていく守護大名ですが、
幕府の権威による立場は変わりません。
力関係が逆転していく中でも、
【あくまで守護大名が上司である】
という最後の一線は保たれてきました。
しかし、その一線もあるトドメによって
終わりを告げることとなります。
北条早雲が大名へとのし上がった原点。

応仁の乱の始まりです。
細川と山名という数少ない力を持った守護大名同士の戦争、
これは結局11年も続く代物となりました。
しかも、この戦争は京都だけでなく
全国各地へと飛び火していました。
福井でも、当時守護職に戻っていた斯波家が
後継者争いで戦争をおっぱじめる事となります。
戦争ばかり起こして周囲を省みない守護大名に
全国各地の武士は自分の身を自分で守るために決起します。
朝倉氏も独自に動き続けることで福井苓北を
ほぼ支配することに成功します。
これが戦国大名越前朝倉氏の始まりとなるわけです。
今回はここまでです。
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投稿者プロフィール

- 何事もスピード解決!効率主義者。世界の合理的でないものをすべて消すことが夢。担当教科は社会、数学。

