どうもこんばんわ。
福井の家庭教師ベストマン代表 加藤です。
いよいよ、福井県立高校入学試験まであと「3日」となりました。
受験勉強で夜更かしをしがちな時期ですが、本日から就寝時間を考え受験当日に向けて体調調整をしていきましょう。
さて、
今回のブログタイトルは「教育においての親や教師それぞれの思い」です。
前回、福井新聞オンラインの「学力って何? 点数評価に疑問」という記事に対してブログを書かせていただいたのですが、意外に好評でしたので第二弾です。
今回気になった福井新聞オンラインの記事は2018年2/26にアップされた以下のリンク先の2番目の記事です。
是非一度読んでみてください。
というわけで今回は福井新聞オンラインの「教育においての親や教師それぞれの思い」の記事に沿って家庭教師という専門家としての意見を述べたいと思います。
目次
教育をめぐる保護者と教師の意見
お子さんを学校に通わせている親御さんは、学校の先生の「教師としての対応」に疑問や不満を感じたことはありませんか?
親御さんは担任の先生のことについて知る機会は少ないと思います。
授業参観も年に数回ほどですし、またお子様に「来ないで」と言われたりしてなかなか学校に行く機会も少ないと思います。
保護者懇談会は学期ごとにありますが、通知表に目が行ってしまいなかなか担任の先生自体に目を向けることは難しいですよね。
また、お子様が学校に対する不満を抱いていたとしても、親御さんにはなかなか言いづらかったりしますから学校の先生に対する問題点はなかなか表面化されない傾向があります。
親御さんのご意見
今回の福井新聞の記事では、
2人の子を持つ30代の女性は「子どもの連絡帳を見れば、『職業と割り切っている』先生はすぐ分かる。採用についてもっと考えるべき」と教師の質について指摘。
※福井新聞オンラインより引用
と普段明るみに出てこない親御さんの学校の先生に抱くお気持ちが書かれております。
「連絡帳」は翌日の学校の授業の教科、宿題やその準備物などが書かれているものですが、そのほかに毎日その日の感想や気持ちを3行4行で生徒さんが書き、それに担任の先生が返事をするという交換日記のような制度?があります。
私が小学校中学校だった時にもありました。1行や2行しか書いてないと怒られた記憶があります。
連絡帳の目的とは
実際この「連絡帳」の目的は、翌日の学校の準備に役立てたり、保護者と情報を共有するためですが、
日記制度?の目的は何でしょう?
私が思うには、生徒さんが先生に面と向かって伝えづらい悩みや意見を伝える為にあるのだと思います。
生徒一人一人の状況を毎日把握することは学校の先生でも難しいです。
平凡な毎日と思っていても生徒の誰かにとって大変な一日である可能性もあります。
連絡帳の日記制度?はこのような問題を克服できる画期的な制度ですが、その反面、現場の教師からすれば、意見の内容にしっかり目を通し、内容によっては結構な時間をかけてアドバイスを考え、書かなければいけないので時間的にも精神的にも負担となっている先生方も多いそうです。
生徒自身もめんどくせーと思いながら「作業」として日記を書き、
先生も早く終わらせたいけど、適当なこともかけないという苦痛の「作業」になっているのかもしれません。
いつの間にか本来の目的を見失っているのではと感じてしまいますが、
「この日記で救われた。」、「学校生活が楽しくなった。」という生徒さんもいれば、「毎日生徒とコミュニケーションが取れて嬉しい。」と、教育のモチベーションに繋げている先生もいらっしゃいます。
上記の記事の一部の「子どもの連絡帳を見れば、『職業と割り切っている』先生はすぐ分かる。採用についてもっと考えるべき」というのは、きっとこの親御さんが求める「学校の先生の対応」の基準に「お子様が書かれた日記に対する担任の先生の返事」が届かなかったことによるものだったのでしょう。
教師の主張
それに対する教師側の返事として、
一方、現場の教師からは「多くの教師は一人一人の児童生徒と向き合おうと努力している」と強く訴えた。
※福井新聞オンラインより引用
と書かれてありますが、確かに現場の学校の先生はやることがたくさんあって「時間」がありません。
その与えられた時間の中で優先順位を考え、取捨選択をしながら多忙な日々を過ごしておられます。
日記の返事も「昼休み」の時間などを駆使したり、時間がない中、工夫して対応されているのだと思います。
その上で日記の返事を見られた親御さんから「学校の先生としてふさわしくない。」と言われれば、「強く」訴えたくもなりますね。
学校の教師は免許制度がある職業です。教員免許ですね。
他にも医師免許を必要とするお医者さんもあり、免許制度を取り入れている職業はいくつかあります。
免許制度の職業のメリットでもありデメリットでもあることは
淘汰されない。
ということです。
淘汰とは分かりやすく言うと、より良いものが残り、悪いものはなくなっていくということです。
教育機関も医療機関もなくなることはありませんよね。
つまり評価を維持する必要があまりないのです。
- 「より良い教え方はないだろうか」
- 「うちのクラスの平均成績を上げるためにはどうすればよいか?」
ということを考える必要はあまりないのです。
なぜなら比べられることなんてあってないに等しいです。
逆に言えば努力を評価されることもないのです。
(複数の中学校の同教科のクラス単位での点数順位なんてないでしょう?)
親御さんが評価するのは、結果です。成績です。点数です。
どれだけ授業を楽しく工夫して進めていても、成績が伴ってなければ親御さんからは評価されませんし、
かつ、先生の担当クラスの成績を評価する指標(他の先生の同教科担当クラスとの成績の比較)がないのですから...。
評価されることもないのに自分の時間と労力を割いて教育向上に努めようとする先生が今いらっしゃるのでしょうか?
教育を殺したのは「教師」ではありません。
教育制度が「教師」を殺していくのです。
そういった免許制度を取り入れている業界が恐れることは「不祥事」のみです。
(「不祥事」=親御さんからのクレーム?)
親御さんからのクレームにおびえ、「不祥事」を起こさないようにすることにウエイトを置き、言葉も選び、伝えたいこと、言いたいこともすべてリセットし、こうすれば不祥事が起きないというマニュアル通りにするようになっていくのでしょう。
いつの間にか
「教師」とは何なのか、
なぜ自分が「教師」なのか、
なぜ「教師」になったのか。
あ、仕事だからか。
いわゆるこれが、上記の親御さんの言葉の『職業と割り切っている』ということになっていくのでしょう。
実際こういった先生がいらっしゃるのも確かですし、
教育について素晴らしい志を持っている先生がいることも確かです。
教育での免許制度はやめるべきだと私は思います。
広い大地で正々堂々と教育に立ち向かうべきだと思うのです。
そして、適切な評価の基準と方法を設け、いい先生は評価され、評価がよろしくない先生は、やめさせる。
そうすれば、学校の先生はみな自分の職を最後まで貫くために「授業の質の向上」に努めるのではないでしょうか?
先生が授業の質の向上に努めることで、悪いことが起きるでしょうか?
私が思う限りは、学校の先生を辞める人がたくさん出てくる。ということでしょうか?
でも比べられるくらいならやめた方がマシと思う先生は、別に先生になってもらわなくても結構だと思うのは私だけでしょうか。
教員の多忙化
さて、上述したように、学校の先生は私たちの想像以上の激務に日々追われているわけですが、それにより余裕がなくなり、生徒に対しての対応が疎かになっているのではないかと言われております。
福井新聞の記事では、
教員の多忙化について、50代男性は「自分たちで業務改善できず忙しい状況に甘んじている教師が、人に教えたりできるのか」と厳しく批判。
一方で県内の40代教師は「一人一人の児童生徒に向き合おうと多くの教師は必死。それが長時間労働につながっている。社会の理解がほしい」と切実な声を上げた。
※福井新聞オンラインより引用
と書かれている通り、一生懸命に職務に取り組んでいるつもりが、批判されてしまう教育現場の職員の現状をよく表していますね。
これを見て、「学校の先生」になろうと思う子が減ってしまうのではないでしょうか?
何を目指して学校の先生になるのかも分からず、「公務員」だからという理由で教師になる先生が増えてしまうのではないでしょうか?
教育への熱意無くして、学校の先生になるメリットは「公務員」であること以外あるのでしょうか?
「自分たちで業務改善できず忙しい状況に甘んじている教師が、人に教えたりできるのか」
この「忙しい状況に逆に甘んじているのでは」という厳しいご指摘は現場の職員からすればかなり辛いのでないでしょうか。
業務改善するにしても、学校単位でできることは限られております。
国が定めている、教育機関として生徒に対しですべきことは、抽象的にざっくりしている割に、
学校で生徒に対してはやってはいけないこと、は具体的にどんどん増えていっている感じがします。
まるでテレビ番組のようですね。
昔ではよかった企画が、今ではモラル的な意味でダメ。
つまり、表現方法がだんだん減っているのです。
だから若者のテレビ離れが深刻化し、ネットの刺激の強い動画を求めるようになっているのです。
ネットもいずれテレビと同じことが起きると思いますが...。
私はモラルというのはさまざまな可能性への選択肢を減らす恐ろしいものに感じます。
業務改善といっても、そうとうワンマンな校長先生でない限り、行動を起こすことは難しいのではないでしょうか?
ただ、親御さんはそんなことは知ったこっちゃないですよね。
役所の目が怖くて学校の独断でできることには限りがあるなんて知らないんですから。
そもそも学校側はそんなこと伝えませんし、こうこうこういう理由で、と具体的に説明はしてくれない。
ただ、「一人一人の児童生徒に向き合おうと多くの教師は必死。それが長時間労働につながっている。社会の理解がほしい」
と切実な声を上げるだけです。
このやり取りって全く生産性がないというか、結局全く業務改善につながってないですよね。
なんのために保護者の意見を募っているのか分からなくなってしまいます。
教師:何か意見があれば言ってください。
保護者:~すべきだ!
教師:一生懸命に努めている、理解してほしい。
の繰り返しです。
それなら最初から教育を受けるほうに妥協しろって言って欲しいですよね。
県内の60代女性は「子どもも先生も疲れていると思う。余裕がなければ人を思いやれない。校長など管理職の人たちは自身や学校の評価より、先生の雑務を減らし子どもとじっくり向き合える環境を整えることに力を」と訴えた。
※福井新聞オンラインより引用
このようなお言葉も出ています。
全くその通りですね。今の教育の現状では、子供と先生、つまり教育を受ける方と教育をする側とのすれ違いにより、無駄な労力を浪費してしまっています。
この制度が教育の「賢いやり方」なのかいささか疑問に思います。
時間の余裕がなければ、気持ちの余裕も生まれません。
崖で命綱なしで綱渡りをしている人に人生のアドバイスを聞いて的確な答えが返ってくるでしょうか?
この現実をしっかり受け止め、勇気ある校長先生たちが一致団結し行政に訴え、国として改善されることを切に願っております。
学級崩壊?
昨今の世の中は、体罰がなんだのよく世間で騒がれるようになりましたね。
今の教育現場では愛の拳もただの暴力となってしまうようです。
私も暴力は反対です。
しかし、そうなると生徒を悟させる手段は「言葉」だけになります。
「言葉」だけではどうにもならない生徒さんも学校には何人かいることでしょう。
そういう生徒さんに対して、学校の先生はどうアプローチすればよいのでしょうか?
福井新聞の記事では
学校教育の現状について、小学生の子どもを持つ福井市の40代男性は「ボス的な児童が教室をかき回し、授業が進まない。各世帯が家庭教師を雇ってカバーしている」と、学級崩壊に陥っている現状を語った。
※福井新聞オンライン引用
と書かれている通り、授業を乱す生徒がいたとしても、「バケツもって廊下に立ってろ」は体罰になりかねないので、言えません。
言葉で言ってもわかりません。
言うことを聞きません。
でも授業を進めないといけないし。
じゃ「無視」しよう。
になるのです。
もちろん授業をまじめに受けている生徒さんからすれば迷惑千万。
うるさくてまったく頭に入ってきません。
「お前うるせーんだよ!」と言いたいけれどもそんなこと言えば、「いじめ」の的になってしまうことに恐れてなかなか言えません。
他の生徒からすればやっぱり、学校の先生が黙らせて欲しい。のですが、体罰はNGで、かつ何を言っても通用しないので先生はお手上げ状態。
地獄絵図ですね。
また、
「各世帯が家庭教師を雇ってカバーしている」
と、このクラスの生徒さんは他のクラスに追いつくために、必然的に家庭教師などの学習支援を利用しなければいけないようです。
親御さんからすれば学校の授業が原因なので学習支援での指導料を学校側に負担して欲しい気持ちでしょうが...。
これはすべて、福井県の教育現場で起こっている事です。
他人事と思わず、学校の先生も、親御さんも一度考えてみてほしいことですね。
ベストマンの教育に対する考え方
私はあくまでも「学習支援」としての立場ですが、私はベストマンの生徒さんに対して「学習支援」ではなく「教育」をさせていただいていると自負しております。
そして、私はその教育を仕事と感じたことは一度もございません。
連続12時間の指導をした時でも、深夜3時まで指導をした時も、徹夜で何日も指導用資料を作った日でも「仕事」とは思いませんでした。
もし教育を仕事としてとらえていれば、果てしない資料作りの最中に精神に支障をきたしていたでしょう。
就労時間的に言えば私なんかすさまじく悪質なブラック会社の社員と化してしまいますからね。
私にとって「教育」とは生きがいです。
生徒が私が伝えた言葉で夢を見つけ、
生徒が私が教えたやり方で難問を解き、
私の生徒が受験という試練を乗り越えてくれる。
それを自分のことのように喜び、生徒とともに達成感に包まれる。
そして「教育」は答えのない「哲学」です。
教育の目的は、生き方を見つけることだと思っております。
生き方は人それぞれで何が正しいのか、答えなど誰にもわかりません。
ですのでこれは「哲学」なのです。
様々なことを考えさせてくれる「教育」に携わることができることに本当に感謝しております。
この気持ちがあるから続けられます。
もし「教育」を生きるため、飯を食うための手段と考えてしまったらたぶん続けられないでしょう。
「教育」は答えがないからこそ、1人1人それぞれの「教育」があります。
それ故に教育側と保護者の意見がぶつかり合います。
ベストマンは「親御さん」が求める教育をするつもりはございません。
「生徒さん」自身が求める教育を突き進めていきます。
親御さんに媚を売るだけで結果を出せない学習支援サービスが多すぎます。
私は「家庭教師のベストマン」をそのような本来の目的を見失ったただのビジネスと化した学習支援サービスにするつもりはありません。
まとめ
福井新聞の記事「教育においての親や教師それぞれの思い」について家庭教師の専門家として見解を述べました。
福井の教育現場は、行政機関として教育現場に求める教育のあり方と、保護者として教育現場に求める教育のあり方の2つの板挟みになっており、学校の先生は日ごろの激務に加え精神的な部分でも負担が増えています。
教育現場である学校の先生の切実な声も管理職まで届きません。
結局は現場の声に全く耳を傾けない管理側の問題なのです。
でも教育管理職には立場上教育現場は頭が上がりません。
それって結局「大人の都合」じゃないでしょうか?
私が納得いかないのは、子供の為であるはずの「教育」に「大人の都合」を含めていることなのです。
どれだけ意見を伝えたって、教育管理職と教育現場の上下関係のしがらみを解かない限り意味がないのです。
問題も解決されません。
親御さんは泣き寝入りせざるを得ない状況ですね。
そこで学習支援を利用されるということですが、学習支援サービスこそ吟味して選ばれることをお勧めします。
CMでやっていたとか、有名だから、で選ぶのだけは辞めましょう。
口コミはもちろんですし、一番いいのは実際無料体験を受けてみることです。
学習支援サービスは淘汰される世界にありますから、天秤にかけ甲乙つけていただければよいのです。
ベストマンではどうか
弊社ベストマンでは、もちろん無料体験授業をはじめ、入会金無料、退会違約金無しなど、生徒さんと親御さんのリスクを最大限無くしております。
いつ辞めても料金が追加で生じることはありませんし、入会金もありません、テキストの購入も全くありませんから、
「福井県の学習支援サービスの中で、まず最初に試していただきたい学習支援サービスです。」
とにかくどこの学習支援サービスを利用しようか少しでも悩まれているのであれば
まずはベストマンの無料体験授業を受けてみてください。
そして、他社さんと比較してください。
細かなとこまでとにかく比較してください。
皆さまとお会いできるのを楽しみにしております。
それではまた来週。
また、福井の家庭教師 ベストマンについてわからないことがあれば、
お気軽にホームページのお問い合わせから
もしくは、
ご質問ください。
それでは失礼いたしました。
私たちは心強いパートナーとしてあなたの「受験」にきっと役に立つことでしょう。
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